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名古屋地方裁判所 平成11年(わ)14号 判決

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中四八〇日を刑に算入する。

押収してある登山ナイフ二丁(平成一一年押第四五号の1、3)、サバイバルナイフ一丁(同押号の2)及び折りたたみナイフ一丁(同押号の4)を没収する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和五一年四月三〇日、父甲野一郎、母春子の長男として生まれたが、昭和六三年三月三〇日、自殺した父と死別した。その後、被告人は、愛知県知多郡阿久比町内において、父方の祖父母、母、妹らと同居して生活していたが、祖父母らから家の跡継ぎとして大事にされ、甘やかされて育った。

被告人は、平成四年四月、愛知県立横須賀高校に入学し、隣のクラスに在籍していた乙川花子(以下、単に「花子」ともいう)を知り、高校二年生になってからは次第に同女に好意を抱くようになり、平成五年末ころ、同女に交際を申し込んだが、断られてしまった。しかし、被告人は、同女に対する思いを断ち切ることができないばかりか、同女が被告人に好意を抱いているものと勝手に思い込み、自ら友人にその旨吹聴した上、同女に付きまとったり、同女の自宅に電話をかけたりした。被告人は、平成六年になって、同女から明確に拒絶の意思を伝えられた際にも、まだ望みはあると思っていたが、友人から同女には男友達がいるらしいと聞くに及んで落胆し、同年七月ころから夏休みを挟んで同年九月末ころまで不登校となり、その間に自殺を試みようとした。

被告人は、同年九月末ころ、花子には男友達はいないと聞き、友人から励まされて登校するようになり、再び花子の自宅に電話をかけて同女と話をしようとしたが、同女の母乙川夏子(以下、単に「夏子」ともいう)に取り次いでもらえなかった。また、被告人は、図書室で受験勉強をしている花子の近くの席に殊更座ったり、同女に声を掛けたり、同女の肩付近を触るなどの行為を繰り返した。被告人のこのような行為を嫌がった花子は、落ち着いて勉強をすることができず、夏子に相談し、夏子は教師に善処を依頼した。被告人が花子に対し嫌がらせをしてトラブルを起こした旨教師から連絡を受けた被告人の母春子は、平成七年二月ころ、被告人を連れて花子の自宅へ行き、花子の両親に謝罪したが、被告人は謝罪せず、かえって、花子が被告人に関心がなく、嫌がっているなどと夏子に言われたことで悔しく思い、また、夏子の言い方が陰湿であると感じて強い反感を抱いた。

その後、花子は、名古屋布内の大学に入学し、他方、被告人は、大学受験に続けて失敗し、四年目の浪人生活を続けるなどしたことから、被告人が花子に付きまとうことなく経過していた。ところが、被告人は、平成一〇年一〇月ころ、街中で花子の姿を見掛けて、同女に対する思いを募らせ、友人に相談した上、同年一一月初めころ、同女に対し、交際を申し込む内容の手紙を書いて出した。これに対し、花子が、断りの手紙を書き、同月一〇日、夏子がこれを被告人の母春子に届けたため、被告人は、手紙を出したことを春子からたしなめられたが、花子からの手紙を読んだところ、同女がこれまで被告人の言動によって迷惑を受けたことなどが綴られ、被告人の行為はストーカーの行為であるなどと記載されていたことから、同女に対する思いが伝わらず絶望するとともに、同女のことを思って悩み苦しんでいる自分が一方的に悪者扱いされていると思って逆恨みし、花子に対する愛情が憎しみに変わり、また、以前の夏子の態度が思い起こされ、花子と夏子の二人が一緒になって自分をおとしめているに違いないなどと思い込み、花子及び夏子の両名を殺害して復讐したいと考えるようになった。

そして、被告人は、花子から受け取った手紙のことで友人らに相談した際、復讐したいとの言葉を漏らし、登山ナイフを新たに購入してその準備を進めたが、直ちに実行することはためらわれ、あれこれ悩んで不眠の状態が続き、酒浸りの生活を送るようになった。また、被告人は、同年一二月二日、祖父に勧められて精神科で受診し、神経症と診断され、そのころ、投与を受けた睡眠薬をまとめて飲んで自殺しようとしたが、死ぬことはできなかった。このようにして過ごすうち、被告人は、神社で引いたお神籤を見て、花子との交際に希望を持ち、同女から良い返事が来るのではないかと事態の好転を期待してしばらくの間様子を見ていたものの、何の変化も起きなかった。被告人は、同月二一日夜、居酒屋等で酒を飲んだ後、ナイフを入れた鞄を持ってタクシーに乗車し、同女の自宅に向かう途中、運転手に殺人を犯した人間の精神状態について尋ねるなどしたが、結局、帰宅し、悔しさや苦しい気持ちが一層増して、「花子はうまくやっているのに、自分はどうして苦しまなければならないんだ」などと祖父に言ったところ、かえって「太郎が悪い」などと叱責されたため、同人に掴みかかり泣き喚いたりし、そのうち寝込んでしまった。

被告人は、同月二二日午前四時ころ起床し、種々考えているうちに家族からも見放されたと感じて絶望的な気分となり、自分に悔しい思いをさせている花子と夏子を殺して復讐するしかないとか、花子を自分のものにするために同女を殺し、自殺しようなどと考え、登山ナイフなどを入れた鞄を持って自宅を出発し、同日午前六時四五分ころ、花子の自宅近くに到着した。被告人は、同所付近において、勢いを付けるため所持していたワインを飲んだものの、なおも犯行を逡巡してしまい思案を続けたが、同日午前七時二〇分ころ、意を決して花子方の玄関から屋内に入った。被告人は、応対に出た夏子から出て行くように言われたため、鞄の中から登山ナイフを取り出し、上に振り上げて示したところ、夏子が屋外に逃げ出したため、花子がいると思われる二階の居室に向かった。

(犯罪事実)

第一  被告人は、平成一〇年一二月二二日午前七時二五分ころ、愛知県知多市〈住所略〉乙川二郎方の玄関で出会った乙川夏子(当時四六歳)が、被告人の示した登山ナイフに驚き一旦は逃走したものの、居室内に残った長女花子の身を案じて戻ってきたのを認め、同所二階廊下付近において、乙川夏子に対し、殺意をもって、所携の登山ナイフ(刃体の長さ約18.50センチメートル。平成一一年押第四五号の1)でその左胸部、背部および左大腿部を突き刺すなどしたが、同人に加療約四週間を要する左胸部、背部、左大腿部刺創、左肋骨々折及び左外側大腿皮神経損傷の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった。

第二  被告人は、同日午前七時二五分ころ、前記乙川二郎の二階居室において、乙川花子(当時二二歳)に対し、殺意をもって、前記登山ナイフでその胸部、腹部及び背部等を三十数回にわたり突き刺し、よって、同日午前九時ころ、同市新知字永井〈番地略〉知多市民病院において、同人を腹部刺創による腹部大動脈損傷に起因する失血により死亡させて殺害した。

第三  被告人は、業務その他正当な理由による場合でないのに、同日午前七時二五分ころ、前記乙川二郎方において、前記登山ナイフ(前同押号の1)、刃体の長さ約13.31センチメートルの登山ナイフ(同押号の3)、刃体の長さ約12.19センチメートルのサバイバルナイフ(同押号の2)及び刃体の長さ約9.06センチメートルの折りたたみナイフ(同押号の4)各一丁を携帯した。

第四  被告人は、同年二月上旬ころ、愛知県知多郡阿久比町〈住所略〉駐車場において、同所に駐車中の自動車内から、A所有のビデオカメラ一台(時価約五万円相当)を窃取した。

第五  被告人は、同月一九日ころ、愛知県半田市〈住所略〉駐車場において、同所に駐車中の自動車内からB所有の腕時計五個ほか約一〇点(時価合計約一五万円相当)を窃取した。

第六  被告人は、同月二四日午前零時ころ、同市〈住所略〉駐車場において、同所に駐車中の自動車内から、C所有の現金約四五〇〇円及び財布一個ほか五点(時価合計約六万円相当)を窃取した。

第七  被告人は、同月二四日午前三時ころ、同市〈住所略〉駐車場において、同所に駐車中の自動車内から、D所有のマグライト一本(時価約五〇〇〇円相当)を窃取した。

第八  被告人は、同年九月四日午後七時三〇分ころ、愛知県知多郡阿久比町〈住所略〉駐車場において、同所に駐車中の自動車内から、E所有または管理のセカンドバック二個ほか一八点(時価合計約一万三〇〇〇円相当)を窃取した。

第九  被告人は、同年一一月一〇日午前四時ころ、愛知県知多郡阿久比町〈住所略〉階段下において、F所有のマウンテンバイク一台(時価約七万円相当)を窃取した。

(証拠)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人は、第一ないし第三の犯行当時、被告人が極度のうつ状態にあり、飲酒による酪酊とともに分裂病型障害による小精神病状態下にあったから、心神喪失ないし心神耗弱の状態にあったと主張する。

二  関係証拠によれば、被告人が第一ないし第三の各犯行に至った経緯やその際の心情等としては、前記犯行に至る経緯で指摘したとおりの事実が認められる。

ところで、被告人は、公判廷において、第一の犯行について、夏子に対する確定的殺意はなかったし、第一及び第二の犯行動機として、花子及び夏子に対する復讐目的はなく、被告人が自殺するに際し、花子が他の男性の手に渡らないようにするため道連れにしようと考え同女を殺害し、夏子については花子の殺害を制止されそうになったため、妨害を排除しようとして攻撃を加えたにすぎないという趣旨の供述をしている。

1  そこで、まず、責任能力の判断の前提として、夏子に対する殺意の内容について検討する。

関係証拠によれば、被告人が、夏子に対する攻撃の際に用いた凶器は、刃体の長さ約18.50センチメートルの切っ先鋭利な登山ナイフであり、人を殺傷するのに十分な性能を備えていること、この登山ナイフは本件犯行の一か月ほど前に購入した新品であり、被告人は、その性能を認識していたこと、被告人は、この登山ナイフで、夏子の左胸部、背部、左大腿部を突き刺すなどしており、身体の枢要部を意識的に避けて攻撃を加えたような形跡は見当たらないこと、左胸部の刺創は深さ約三センチメートルであるが、左第六肋骨に達してこれを骨折させており、仮に肋骨に当たっていなければ、登山ナイフの刃が肺を貫き、心臓に達していた可能性があり、加えた力の程度もかなり強いこと、左大腿部の傷も下腹部に近く、深さ約四ないし五センチメートルの刺創、及び長さ約一〇センチメートルで深さ約四なし五センチメートルの切創であり、神経を損傷するほどの重傷であること、被告人は、夏子が、被告人から花子を遠ざけようとしている態度について陰湿であると感じて強い反発を抱いていたこと、被告人は、花子殺害後、夏子に対しても、登山ナイフを握ったまま、「俺の人生をむちゃくちゃにしやがって。謝れ。謝れ」と強く要求し、同女が謝罪すると、ナイフを握る手の力を抜き、夏子にナイフを取り上げられたことなどの事実が認められる。

右認定にかかる本件凶器の性状、凶器の用法、攻撃の部位、夏子に対して抱いていた心情や犯行後の行動状況等を合わせ考えると、単に妨害を排除しようとして未必的な殺意のもとで攻撃を加えたというに留まらず、被告人が夏子に対し、確定的な殺意を抱いていたことを合理的に十分推認することができる。

被告人は、警察官調書(乙一)、検察官調書(乙三、四)において、夏子に対しても確定的な殺意があったことを認める供述をしているところ、その信用性に疑いを挟むような事情はなく、右推認を具体的に裏付ける。

なお、被告人は、花子方玄関先で、夏子と対峙して、鞄からナイフを取り出した際、夏子に対する攻撃に至っていないことが認められるが、直ちに夏子が屋外に逃げ出した状況から考えると、夏子に対する攻撃の意図がなかった証左ということにはならない。

2  次に、第一及び第二の犯行動機について検討するに、関係証拠によれば、被告人は、花子が被告人を嫌っているという現実を直視できず、自己中心的な理解の下に同女に対する思いを募らせていたところ、同女から交際を拒絶され、被告人の言動によって迷惑を受けたことなどを詳細に指摘された上、ストーカー呼ばわりされるなど被告人にとってみれば望みを打ち砕かれたばかりか屈辱的な態度をとられたこと、また、前記のとおり花子から被告人を遠ざけようとする夏子の態度についても陰湿であると感じて強い反発を抱いていたこと、周囲の者に対して被害者両名に対する憎しみの感情をあらわに示し、復讐する旨を口にしていたこと、ナイフ四本を所持して被害者方へ赴き、花子の腹部や背部等を三十数回にわたり突き刺しており、夏子に対しても前記のとおり確定的な殺意に基づいて攻撃を加えていることなどが認められる。

そして、被告人の警察官調書(乙一)、検察官調書(乙三、四)によれば、被告人は、本件犯行直後の時点から、動機について一貫して被害者両名に対する復讐目的があったことを供述している。その内容は、右認定事実に照らし、自然かつ合理的であって、十分信用することができる。

被告人は、公判廷において、犯行動機に関する捜査段階の供述は嘘であり、そのような嘘を付いた理由は、マスコミが騒げば、家族や親戚に迷惑がかかると思ったからであるとか、復讐の意図がなくなったと述べると変質者に見られると考えたなどと説明するが、全く不可解であり、公判廷において、復讐目的はなかったと供述を変遷させた合理的な理由は窺われない。

ただし、被告人は、花子及び夏子に対する復讐の気持ちを抱いた後も、直ちに殺害の犯行に及んだというのではなく、犯行の実行を何度も躊躇していることが認められる。そして、その原因の一つとして、被告人が、長年、花子に対する思いを募らせており、なお同女との交際について希望を抱いており、同女を自分のものにしたいと考えていたことが挙げられる。言い換えれば、被告人は、被告人以外の男性の手に花子が渡ることをおそれていたから、同女が他の男性の手に渡るくらいであれば、いっそのこと、花子を殺害して自分のものとした上、自らも命を絶とうと考えたとしても不思議ではない。被告人は、警察官調書(乙一)や検察官調書(乙四)において、これに沿う趣旨の供述をしている。そうすると、他の男性の手に花子が渡らないようにするために同女を殺害しようとした旨の犯行動機に関する被告人の前記供述を、たやすく排斥することはできず、むしろ、このような動機ないし心情が、被害者両名に対する復讐の意図と混在していたとみるのが自然である(なお、被告人が、本件犯行前に、花子に交際している男性がいることを具体的に認識していたような事情はなく、そのことを知ったのは、犯行後、同女の部屋で、同女と男性が一緒に写っている写真を見た後というのであるし、復讐の意図が消えていたような事情も窺われないから、同女を独占しようとする動機だけで殺害の犯行に及んだとみるのも相当でない)。

以上によれば、第一及び第二の犯行の主たる動機として、被告人には、自分勝手な要求が満たされないことを逆恨みし、花子及び夏子の両名に対する復讐の意図があったと認められるが、それだけではなく、被告人には、花子を他の男性の手に渡したくないという気持ちもあり、花子を殺してでも自分のものにしようとしたことも花子殺害の動機を形成していると解される。

三  以上を前提にして、被告人の責任能力を検討するに、次のような事実が認められる。すなわち

1  被告人は、小学校五年生のときに父親が自殺し、このことが原因で心理的負因を有していた。

2  被告人は、高校二年生のころから、花子に対し、恋愛感情を抱いていたが、同女から何度も交際を拒絶されていたにもかかわらず、同女の本心は異なり、被告人に対して好意を抱いているに違いないと恋愛妄想様の観念を抱き続けていた。

3  被告人は、平成一〇年夏ころ、ジョギング中に、通りがかりの者から、顔が大きいから駄目だという趣旨のことを言われ、帰宅後、自分の容姿をコンプレックスに感じて号泣した。

4  被告人は、同年一二月初めころには、不眠や抑うつ気分が続き、酒浸りの生活となり、精神科で受診して神経症と診断され、そのころ、多量の睡眠薬を服用して自殺を図った。

5  被告人は、同年一二月二一日夜、酒を飲んで酪酊した上、タクシー運転手に唐突に不可解な質問をし、帰宅した後、絶望感や屈辱感などから興奮状態となって泣き喚いたりした。

6  被告人は、本件犯行の直前にも、ワイン一本を飲み、酪酊状態にあった。

以上のように、本件犯行前及び犯行時における被告人の精神状態について、ある程度低下していたことを窺わせる事情が認められる。

しかし、他方、次のような事実も認められる。

7  被告人は、本件犯行時の記憶を鮮明に保っている。

8  被告人は、好意を抱いていた花子に交際を拒絶されて絶望した上、ストーカー呼ばわりされるなど被告人にとってみれば屈辱的な態度をとられ、恋愛感情が憎しみに変わり、また、恋愛を妨害し陰湿な態度であると感じていた夏子に対し、強い反発を抱いていたから、被害者両名に対して復讐心を抱いた経緯は自然であるし、その目的を果たすとともに、花子を殺してでも自分のものにしようとした動機は、身勝手で短絡的ではあるが、決して不合理ではなく了解可能である。

9  被告人が、殺害に適した大型の登山ナイフなどの凶器を準備した経過は合目的的である一方、被告人は、直ちに犯行に及ぶのではなく、犯行の直前まで何度も躊躇しており、また、花子方からその父二郎が外出した際には、同人に見付からないように通行人を装うなどしており、殺人行為の重大性を十分認識していた。

10  犯行態様は、執拗かつ残忍であるが、異常であるとまではいえない。

11  そして、被告人は、犯行後、夏子に謝るように要求し、同女から謝罪の言葉を受けるや、それ以上は攻撃を加えていない。

以上のような事実も認められる。

四  そして、山田堅一医師は、被告人の精神状態について、次のとおり鑑定している。すなわち、被告人にとって被害者(花子)は、性愛的対象である以上に、絶対的・母親的存在であり、自己の存在を保つために不可欠な存在となっていたと両者の関係を捉え、犯行動機に関し、「被害者(花子)の殺人目的には、生物学的に殺人するという意味以上に、その存在を自己の物にするという意味が大きいようである。」とした上で、本件犯行について、「被告(人)の攻撃的、爆発的、自己愛的、性的倒錯的な人格の上で行われたものであり、平成10年夏以降に起こった分裂病型障害により、行動制御能力が軽度ながらに低下し、睡眠薬を多量に服用し一旦は冷静になった後突発的に、被害者への攻撃性が出現しておこったものである。」と分析している。そして、鑑定主文において、「本件犯行時、被疑者(被告人)は、軽度の酪酊下にあったが、是非善悪の弁別能力、及びそれに従って行動を制御する能力は存在した。」「現在の精神状態は、非社会性人格障害があり、攻撃性・自虐性、自我肥大・対人恐怖心性、自己顕示性、情性欠加、性的倒錯傾向を持った人格障害下にある。分裂病型障害があり、何らかの誘因で精神病症状を呈する可能性があるが、精神分裂病、その他の狭義の精神病は否定される。」と結論付けている。

山田医師の鑑定は、その基礎となる面接や検査の方法が緻密であり、専門的な知見に基づいて被告人の恋愛妄想様観念が精神分裂病の症状と異なることを指摘するなどしており、鑑定主文を導き出す推論の過程も論理的で明快である。前記認定の事実に照らしてみても、特に不自然で不合理な部分は見当たらない。

山田医師による鑑定の結果は十分肯認することができる。

五  したがって、被告人は、第一ないし第三の犯行時において、飲酒による軽度の酪酊及び分裂病型人格障害により精神状態がある程度低下していたが、行為の是非善悪を弁識し、これに従って行動を制御する能力を失っていたとか、著しく低下した状況になかったことが明らかである。

よって、弁護人の主張は採用しない。

(適用法令)

罰条

第一の犯行 刑法二〇三条、一九九条

第二の犯行 刑法一九九条

第三の犯行 銃砲刀剣所持等取締法三二条四号、二二条(包括)

第四ないし第九の犯行 各刑法二三五条

刑種の選択 有期懲役刑(第一の罪)

無期懲役刑(第二の罪)

懲役刑(第三の罪)

併合罪の処理 刑法四五条前段、四六条二項

主刑 無期懲役

未決勾留日数 刑法二一条(四八〇日算入)

没収 刑法一九条一項一号、二項本文(主文三項のとおり没収。第三の罪の犯罪行為を組成したもの)

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項ただし書(負担させない)

(量刑の事情)

本件は、判示認定のとおり結果が極めで重大で、犯情の甚だ悪質な殺人、殺人未遂、刃物携帯及び窃盗の事案である。

被告人は、高校時代から一方的に恋愛感情を抱いていた第二の犯行の被害者(以下、「被害女性」という)に、高校卒業後三年半以上経って、いきなり交際を申し入れる手紙を送り付けたが、交際を断わられ、返事の手紙の中にストーカーなどと記載されていたことから恋愛感情を憎しみに転化させ、その母親からも陰湿な態度で応対され恋愛を妨げられたなどと思い込んでいたため、復讐の意図と被害女性を自分のものにしたいとの思いから、遂に第一及び第二の犯行のとおり、同女を殺害し、その母親を殺害しようとしたものである。被告人は、高校二年生のころ、被害女性に好意を抱いて交際を申し込んだが断わられ、その後も、同女から明確に拒絶の意思を告げられていたのに、同女の本心は被告人に好意を抱いているに違いないと独善的に解釈し、高校を卒業するまで執拗に同女を付け回し、嫌がらせを繰り返していた。したがって、被害女性やその家族が、被告人に対し、嫌悪感や恐怖心を抱き、被告人を避けようとしていたのは当然の措置であり、また、被告人からの突然の手紙の送付に毅然とした態度で応じたのも、もっともなことであって、その対応には何らの問題もない。そうすると、自分勝手な要求が満たされないことを逆恨みし、復讐を果たそうとか、被害女性を殺してまでも自分のものにしようなどと考えた被告人の余りに自己中心的な犯行動機や犯行に至った経緯に酌量の余地は全くないというべきである。

次に、第一及び第二の犯行態様を見ると、被告人は、大型の登山ナイフなど四本の凶器を予め用意した上、早朝、閑静な住宅街にある被害女性方に赴き、同女に対し、その腹部や背部等を刃体の長さ約18.50センチメートルの登山ナイフで三十数回にわたり滅多刺しにして、助けに戻った母親の目前で殺害している。また、被告人は、被害女性の母親に対しても、確定的な殺意に基づき右登山ナイフで左胸部等を突き刺しており、その際、肋骨を折るほどの強い力で攻撃を加えているのであって、生命侵害の危険性が非常に高かった。本件殺人及び殺人未遂の各犯行は、強固な殺意に基づいた執拗かつ残忍な態様であり、悪質非情な犯行であるというほかない。

被告人は、第一及び第二の犯行により、被害女性のかけがえのない生命を奪い、その母親に対しても、加療約四週間を要する左胸部、左大腿部刺創、左肋骨々折等の重傷を負わせている。被害女性は、長年の夢をかなえるため勉学に励み、その結果、希望どおり航空会社からスチュワーデスとして採用する旨の内定を受け、大学卒業を目前に控えていた。今まさに社会に羽ばたこうとしていた矢先に、理不尽にも被告人の凶刃に倒れて、前途洋々の人生を一瞬のうちに失った被害女性の無念さや、被害に遭った際の苦痛、恐怖は推察するに難くない。また、被害女性の母親も、肺や心臓への損傷を免れて一命を取り留めたものの、それは全くの偶然であり、いまだに左足には温熱感が戻らないなどの後遺症に苦しんでおり、その点だけを捉えてみても、同女が被った身体的、精神的苦痛は重大である上、我が子が殺害される状況を目の当たりにした無念の情は、察するに余りある。以上のとおり、本件殺人及び殺人未遂の犯行の結果は、取り返すことができない極めて甚大なものである。無惨にも殺害された被害女性の両親や妹、結婚を前提に交際していた男性の精神的苦痛、悲嘆、憤懣の情は計り知れず、その被害感情は峻烈であり、両親が、被告人に対して極刑を望んでいるのも無理からぬものがある。

また、被告人や被害女性をよく知る高校時代の友人らも本件犯行を知って、一様に衝撃を受け、人望の厚かった被害女性に対する哀れみの言葉を述べ、他方、被告人の冷酷な犯行について問責の情を披瀝している。本件犯行が、いわゆるストーカーによる殺人事件として広く報道され、平和な地域社会ばかりか一般社会に与えた影響も軽視できない。

被告人は、高校生のころから、妹に対し執拗に暴行を加えるようになり、その後、ナイフを収集するなど粗暴な性格が現われ、また窃盗などの反社会的行動を重ねるようになり、平成一〇年ころには第四ないし第九の各犯行を含む多数回の窃盗に及ぶなど遵法精神に欠ける行動を示しており、被告人の反社会性はかなり根強く形成されているといわざるを得ない。

他方、被告人は、約一年一〇か月の勾留生活を通じて、ようやく、自己の責任の重大性に気付き始め、反省悔悟の日々を送り、被害女性やその家族に対する謝罪の気持ちを表し、また拘置所内において被害女性の冥福を祈っていること、被告人の母が、被害女性の家族に対し、誠意をもって謝罪し、慰謝の措置を講じるため力を尽くしており、賠償金の一部として二八〇〇万円を準備した上、その支払いの申入れをしていること、その他にも被告人の祖父が所有している土地を売却して賠償金を捻出する努力を継続していること、窃盗の各被害者に対する弁償を全て済ませていること、被告人の母は、本件各犯行について自分自身の問題でもあると捉え、被告人の更生に協力すると申し出ていること、被告人には前科前歴がないこと、本件各犯行時の年齢は二一歳ないし二二歳で、現時点でも二四歳と若いことなど被告人に有利なあるいは酌むべき事情も認められる。

しかしながら、これらの被告人に有利な事情を最大限考慮してみても、被告人の刑事責任は極めて重大であるというほかはなく、被告人に対しては、人間の生命の尊さとこれを奪った自己の行為について真摯に見つめ直し、永く贖罪の生活を送らせるのを相当と判断し、主文のとおり被告人に対し、無期懲役の刑を科することとした。

(裁判長裁判官石山容示 裁判官島田一 裁判官右田晃一)

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